依存 [怒り]
本ブログは良縁に出会うこと、幸せになることが目的です。
そのためにはまず、避けるべき特徴を知っておきましょう。
前回は、愛情についてお伝えしました。
今回は、依存についてお伝えします。
依存は何かに頼ることで、自分を保っています。
人はなにかに頼るものですが、ウソくさい人は自分に頼ることができません。
頼れるようにしないのでしょうか?
何かができて、自信ができます。
挑戦したものが失敗に終わると、自信がなくなるでしょうか?
自信はなくなりません。
自分を信じるのに、遠慮はいりません。
何かができなくても、自信はあります。
けれど、目に見えるものでしか信じられないのも、人間です。
目に見えるもの、周囲の評価です。
周囲の自分への評価と自分の評価に差があります。
誰でもそうなのですが、ウソくさい人は自分への期待が高いです。
周囲の期待にこたえようとしているのですが、自分への設定が高いのです。
高いのはいいのですが、ひとつ出来た喜びより、「まだまだ」と喜ぶことを味わっていないのです。
美味しいものを食べたら、また食べたいな、と思いませんか?
「美味しい」が次の「美味しい」に繋がるのです。
「出来た喜び」を味わいたくて、次へ挑戦するのです。
喜びを感じ、味わう
愛情の不足 [怒り]
本ブログは良縁に出会うこと、幸せになることが目的です。
そのためにはまず、避けるべき特徴を知っておきましょう。
前回は、不安についてお伝えしました。
今回は、愛情についてお伝えします。
ウソくさい人は、周囲から自分がどう見られているのかを意識しています。
それは、自分が周囲をどう見ているかでもあります。
周囲を基準としているようで、自分基準で見ています。
周囲を基準に選んだのが自分だからです。
周囲の基準でなく、自分の基準で選んだ行動、それが自分自身です。
ウソくさい人がまったく自分がないわけではありません。
むしろ自分を守るぐらいなので、自分があるのです。
ウソくさい人が与えているものが不安だとお伝えしました。
ウソくさい人が欲しいものがあります。
愛情
不安の場所 [怒り]
本ブログは良縁に出会うこと、幸せになることが目的です。
そのためにはまず、避けるべき特徴を知っておきましょう。
前回は、劣等感についてお伝えしました。
今回は、不安についてお伝えします。
誰にも不安はあると思います。
何かに挑戦するとき、新しい環境と、先が分からないときに不安になりますね。
ウソくさい人は常に不安です。
ウソくさい人は、距離感が近いとお伝えしました。
異性に積極的です。本人は自覚していません。
心の中に、異性を求めているからです。
異性に求められたい、自分を異性の対象として認められたい、ただ一人の人になりたい、と。
周囲から見れば、好意があるように思われていることに気づいていません。
誤解されるようなことを言っているでしょう。
本人は気づきません。自分に夢中だからです。
本人は相手を特別な異性として見ていません。
見ていないから言えるのです。
自分を受け入れて欲しい、それは目の前にいる都合のいい相手ではありません。
自分の行動、言葉を相手がどう受けとるか考えていません。
その相手が大切でないからです。
ではなぜ、積極的なのか?
その行動は不安からきているからです。
劣等感の塊 [怒り]
本ブログは良縁に出会うこと、幸せになることが目的です。
そのためにはまず、避けるべき特徴を知っておきましょう。
前回は、信頼についてお伝えしました。
今回は、劣等感についてお伝えします。
ウソくさい人は「自分なんて」が口癖になっています。
自分が中心です。
誰かが誉められて「すごい。でも、自分には無理」と自分ができるか、できないかで見ているところがあります。
「よかったね、おめでとう!」と、成功を祝うことが難しいです。
相手の成功を自分のことのように喜ぶことができないのです。
自分の成功を心から喜んでくれる人を、友人やパートナーに選びましょう。
劣等感
ウソくさい人には、常に劣等感があります。
劣等感は、ほどんどの人が持っているでしょう。
しかし、ウソくさい人の劣等感は凄まじいです。
優劣が基準です。
優れているか、劣っているか。
自分の劣っているところに敏感なので、他人の優れたところに反応します。
自分の優れたところを褒めてほしい気持もあるでしょう。
それ以上に、自分の劣っているところを否定してほしいのです。
ウソくさい人は、弱みを隠すと共に自ら弱みを言います。
自虐ネタ