我慢なんてしなくていいのです。
しなくていい我慢をして、勝手に怒っているのです。
「少し」を我慢して、溜めたものが大きくなって怒ります。
ウソくさい人の「少し」「ちょっと」は少しも、ちょっとではありません。
最初は「少し」でも段々と「少し」でなくなります。
「少し」の段階で断ると大きくなりません。
溜めるのは大きくしたいのでしょうか?
いっぱい溜めて溜めて、我慢して、一気に吐き出す。
吐き出したとあとの開放感、それが味わいたいためでしょうか?
我慢することが当たり前になっていて、我慢することをやめないのでしょうね。
一気に吐き出すのが好きな人もいるでしょう。
我慢しないほうが、周囲にもいい影響を与えます。
それなのになぜ、怒りを溜めるのでしょうか?
本当の自分を知られたくない
怒りそうになると、ウソくさい人は怒りを溜めます。
怒りをぶつけてしまいそうだからです。
ウソくさい人は、攻撃性があります。
周囲にぶつけなかった怒りは、自分の中に溜めます。
心の中に怒りがたまると、喜びや嬉しさなど他の感情を受け入れる場所が狭くなります。
本当は怒っているのに「怒っていない」と自分も相手もだまします。
怒っている自分に怒るようになる。
怒る自分が嫌になり、自分自身を攻撃するようになります。
ウソくさい人は真面目と言われますが、本当に真面目な人は素直です。
おなかが空いたらおなか空いたといい、食べたいものもちゃんと言います。
何が食べたい?と聞かれて「なんでもいいです」と言わないでしょう。
ウソくさい人の怒りは周囲への怒りもありますが、自分自身の怒りです。
自分が自分を認めていないからです。
駄目出しが多いのです。
周囲に比べて自分はできていない、あれもできてないと、常に「ない」を探しています。
自分の期待に、自分がこたえられないからです。
自分への怒りで、楽しさや嬉しさといった良い感情が入る余裕がないのです。
出来なくてもいい、それより嬉しさや楽しさのほうが、居心地がいいですよね。
ウソくさい人は、自分を楽しんでいません。
自分が敵になっています。
人に傷つけられて嫌な思いをして、今度は自分を傷つけています。
人を傷つけるのはよくありませんが、自分を傷つけるのもよくありません。
寂しさは怒りです。
心が泣いています。
「本当は~」
本当はこうしたかった。本当はこう言いたかった。本当は~。
ウソくさい人は本音を言いません。
自分を生きていません。
つらい時にはつらいと言う、悲しい時は悲しいと言う、寂しい時は寂しいと言う、本音を言える友人がいないのです。
自分の感情に正直でありません。
ウソくさい人は寂しい人です。
ウソくさい人はいい人なのに、違和感があるとお伝えしました。
そのいい人は「良い人」ではなく、「どうでもいい人」です。
自分のことを自分なんてと、「どうでもいい」扱いをしているからです。
周囲が何と言っても、自分のことを大切にできるのは自分自身です。
自分が怒っているのです。こんな扱いは嫌だと。
ウソくさい人がいいことを言っても、ウソくさいと違和感を感じるのは、言っている内容の通りの生き方をしていないからです。
「こうありたい」という願望です。
御覧くださってありがとうございます。