優しい人は攻撃しないからです。
ウソくさい人は、自分に攻撃しない人かどうかをみています。
自分が攻撃されて嫌だったからです。
もちろん、攻撃されて嬉しい人はいません。
ウソくさい人は「嫌」が口癖でしたね。
嫌なところに意識していると、人の嫌なところばかり見ています。
ウソくさい人は優しい人であるほど、優しい人でいて欲しい、と相手に期待をします。
自分の基準からはずれると、攻撃にも似た感情を持ちます。
感情は、自分の中にあるものしか出てきません。
優しくなりなさい、と言われても優しさを知らなければ優しく出来ません。
親切にしてもらった、今度は自分が人に親切にしよう。
嬉しかったから、この嬉しさを人に伝えたい。
人は、人にされたことしか出来ないのでしょうね。
ウソくさい人も、人に親切にされて、他の人に親切にしているでしょう。
攻撃されて嫌な思いをして、他の人に同じ思いをさせたくない、と我慢していたでしょう。
溜めこんだ、「怒り」という感情が消化できずに、何年、何十年とあるのです。
表面はよくても、心の底には攻撃性を秘めています。
その攻撃性を隠すために、より良い人を目指しているのでしょうか?
ウソくさい人が一番攻撃をしている人がいます。
自分自身
自分を攻撃しています。
ウソくさい人は、不機嫌です。心の居場所が居心地悪いからです。
自分の居場所である心が、怒りで溜まっていたら、居心地がいいはずがありません。
ウソくさい人は普段、怒りません。
ちょっと嫌なことをされても、我慢しています。
その結果、怒りがたまります。
ちょっとの怒り、大きな怒りが溜まっています。
一気に吐き出します。
少しづつ出しません。
溜めこんでいたごみを部屋から出すと、すっきりする感じです。
その「すっきり」を味わいたいために溜めこんでいるのでしょうか?
ウソくさい人の心の底には怒りが溜まっています。
怒りは悲しみです。
次回は寂しさについてお伝えします。
御覧くださってありがとうございます。